お墓・仏壇・供養の考え方に違いがあるかもしれません。
人それぞれと思って読んでいただけると助かります。
不快な表現がありましたら、その場でUターンしてください。
お盆のたびに問題になる 実家の「お墓」と「仏壇」。
子どもの頃からお盆前は実家の繁忙期だったので、お盆の全ては私に任されていました。
その流れで、私が何とかするだろうという雰囲気!
何とかしようにも「墓じまい」「仏壇じまい」の言葉を出すだけで、実家の母が怒りすので話し合いが出来ません。
今年のお盆も平行線で終わりました。
避けて通れない「墓じまい」
義両親は、生前に永代供養の納骨堂を購入していたので問題ありません。
お位牌は義兄(夫の兄)にお願いしました。
義両親の介護に直面した私たち夫婦と、遠方で全く関与しなかった義兄夫婦との間に溝ができ、今は疎遠になっています。
問題は私の実家。
親も、墓に入る予定の独身の親族も、私が何とかするだろうという雰囲気。
仮に私がお墓を継承しても、その後を娘たちにお願いするのは難しい。
いずれは「墓じまい」「仏壇じまい」をすることになります。
ところが、実家の母に「墓じまい」の話をするだけで「薄情者」のように言われるので話し合いができません。
聞く耳持たずです。
両親のどちらかが他界したときに話し合うかもしれませんが、
「とりあえずお墓に入れておこう」となり、結局「お墓」も「仏壇」も両親がこの世を去った後しか解決できないのではないかと不安です。
父は墓じまいを検討しているようですが、母を説得できないようです。
でも!娘たちにこの問題を残すわけにはいきません。
費用もかかることなので、親が元気なうちに解決したいです。
できないことは無理をしない
私は「強迫性障害」なので、自宅に仏壇を置いても、ロウソクに火をつけて線香を焚くなんてことは絶対にできません。
相当なストレスだと何度も訴えていますが、病気の知識もなければ理解もないので「大げさ」で終わってしまいます。
私に歩み寄ろうとはしてくれないので。
お盆休みに無理をしてまでお墓の掃除に行くのはやめました。
若い頃は義務と責任感で動けましたが、夫婦でアラフィフになり、遠い実家でお盆の行事を執り行うことは体力的にもきつい。
できないことは「できない」と伝える。
自分がきつくなるだけなので。
義務と責任より気持ちではだめ?
大切な方の月命日に、その方から頂いたティーカップでお茶を飲んでいます。
お茶を飲みながら思い出したり、心の中で話しかける時間は私の癒やしになっているので、それが供養になればいいなと思っています。
「お墓」や「仏壇」の継承が「責任」と「義務」になってしまうと、形だけ残しても心が伴いません。
結局ほったらかしになり、また次の代に押し付けることになってしまいます。
孫からの供養
「おじいちゃんとおばあちゃんの戒名教えて!」と16日に娘1号から電話がありました。
京都の五山送り火の前に、水塔婆に戒名を書いてもらうとのこと。
「お坊様に立派な字で戒名を書いてもらった!」と報告がありました。
天国の義両親は、観光に行った先でも思い出して供養をする孫の姿に喜んでいるはず。
義両親にとって、孫は最後の「リメンバー・ミー」。
映画『リメンバー・ミー』では、生きている誰からも忘れられると二度目の死が訪れ消えてしまいます。
娘1号から送られてきた五山送り火の写真。
おわりに
両親や親族が元気なうちに「お墓」と「仏壇」の問題を解決できることが理想ですが、相当難しそうです。
私に必要なのは、できないことは「できない」と伝えること。
機会を見つけて話し合いを持ちかけることですね。
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